北銀座や南銀座というのはあまり聞きませんが、数寄屋橋一帯の西銀座と三原橋一帯の東銀座。
賑やかな西銀座に比べるとどことなく下町への表玄関の感すらあった東銀座ですが、今は歌舞伎座もリニューアルし、新鮮な街に生まれ変わりました。
私は学生の頃から、この東銀座界隈に縁があり、裏通りまで良く知っています。
米軍のFENをBGMに過ごした学生時代でしたので、大学4年の卒業旅行で、何としてもアメリカ本土に行きたいと、卒業が確実になった頃から昼夜掛けもちで、バイトをしていました。ほぼ1日18時間ぐらい働いていました。
そうなるとバイト先で仮眠が取れて、次のバイトへ徒歩圏内という必要がありました。
さらに、アメリカへの一人旅のために、英語をマスターしなければならないことと、何か日本のお家芸ができれば・・・と思い、その二つがかなう場所がこの東銀座ありました。
一つは1960年開業で、かの東急ホテルの一号店「銀東」の名で親しまれた銀座東急ホテル。
昔は木挽町と呼ばれた界隈です。ホテルは2001年に閉鎖されたそうですが・・・。
そこで、水色にピンクのラインが入った七つボタンの詰襟を着てベルボーイをしていました。
ベルボーイは、昼はゲストの荷物を持って客室へのご案内。夜はデューティマネージャーの配下でベルキャプテンの指揮の下、ベッドメイクから清掃、保安管理まで何でもしなければなりません。
外国からのゲストも多く、おかげで何とか英語も話せるようになりました。
そして、もう一つは歌舞伎座の向かい、三原橋交差点角にあったすし屋です。たしか「あさひ(旭?)鮨」だったと思います。ここで、冷凍で仕入れた鮨ネタを、水流解凍したり、酢で〆たりして下ごしらえしていました。つゆぞ握り方までは教えてもらえませんでしたけど・・・・。
東銀座は、就職してからもご縁がありました。
入社後3度目の人事異動で希望が叶い、「リクルートヤングツアー事業部」という「旅行事業部門」への勤務となり、その店舗が、これまた三原橋の四ツ路あたりでした。どこかの銀行の支店後に居抜きで入居したと聞きました。
さらにご縁は続き、4度目の異動となった「ab-road事業部」もこの三原橋の社屋の2階に事務所がありました。創刊間近に迫った事業部は、22時間勤務で、残りの2時間は自宅へ着替えに行く時間でした。
異動で来てくれた部長は、早く帰るのですが、決まって10時ごろになると労いで上生鮨の出前が届きます。ほぼ毎日です。それもポケットマネーでです。罰当たりなことに、「な縲怩セ、また鮨か縲怐vと言う言葉まで出る始末。すの鮨桶を見てビックリ、懐かしいすし屋の名前が記されていました。
どうしても自宅へ帰れないときには、これまた懐かしい銀座東急に電話し、「元社員割引?」で泊めてもらったこともありました。
でも、先日その界隈に行って見てその様変わりにビックリしました。
あの狭い小路に入ると・・・・・期待していたお目当てのお店はことごとくなくなっていました。
確かに、あのまま残っていれば、30年にもなります。よくよく考えてみれば、老舗でもない限り、あとを継いで商売と言うのもないでしょうね。
そんなに歌舞伎座の近隣にいたにもかかわらず、実は私、歌舞伎を見たことがないんです。
何としても今年はその装いも新たになった歌舞伎座で、歌舞伎を見てみたいものです。
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