バリュー・クリエーションのブログ

武士の面目

 似たようなタイトルの映画がありましたね。
武士は食わねど高楊枝なんていうのもあります。

サムライは、誇り高き職業、しかも生まれたときから宿命として背負おうて生きていたそうです。
その誇り高きつわものどもが、傘張りなどの内職を余儀なくされた困窮の時代があったのですから、武士社会も大変です。

私が住む天童市は、旧織田家の治めた天童藩が幕藩体制の最後でした。
織田家は分家ではなく、本家本元の織田宗家、つまり信長公の直系です。

誇り高き武門の中でも名門中の名門というわけですが、幕末は家柄だけが高く、禄高はなんとたったの2万石の小藩。実質禄高はこれを大きく下回っていたそうです。困窮の極みと言った状態だったそうです。

誉れ高き織田家家中で、内職など・・・・。
しかし背に腹はけられません。そこで、一流の兵学者にして理財にも明るかった時の若き家老、吉田大八は「将棋は兵法戦術 に通じ、武士の面目を傷つけるものではない」とこれを奨励、今は全国生産量の95%を占めるまでに至りました。

その後、大八は荘内藩の執拗な介入により、奥羽列藩同盟仲間入り条件として、責任者断罪を迫られ、自ら藩の捨石となり、数え37歳で切腹して果てます。

勤皇の志士吉田大八は、その後官軍として勝利を収めた新政府に高く評価され、地元を救った英雄として、神社まで賜ります。益々英雄伝説が定着しました・・・・・・というのが定説です。

たまたまこの事が最近の新聞の全国版に取り上げてありました。
しかし、その定説が根拠に乏しいものであることも同時に記されていました。
私にとっても「じぇじぇじぇ、じぇー」の記事でした。

英雄伝がいつしか、郷土天童の繁栄とリンクしたきらいがあるとのことで、少々大げさに話が伝えられていると郷土史家の談も記されていました。
しかし、荘内藩によって、天童は焼き尽くされ、否定する文書も肯定する文書も少ないのが現実です。

 しかし、私は伝説は伝説でいいと思います。吉田大八の伝説を否定しても誰もハッピーにならない。
市民がそう思っているのであれば、史家が何と言おうともそれは伝説ではなく、子々孫々まで伝承すべき郷土の誇りだと思うからです。
 
住まえる人々に誇りと勇気と自慢をもたらしてくれる伝説ステキじゃないですか。
伝説も百回語り継げば、それは定説になります。

それよりも、天童に住まえるのに、織田藩の事も吉田大八の事も知らない子供たちがいかに多いことか。ましてや吉田大八と将棋の話など大人でも知らない市民が多いこと。

せいぜい、全国の方々が集まった時に、郷土の歴史として語れるのは、これをおいて他にはないぐらいのことなのですが・・・。

さらに嘆かわしいことは、この将棋駒を作る職人が高齢化し、継承者不足が深刻になっていることです。今や市民から募った素人を文化教室よろしく、伝承の職人にしようというプログラムもスタートとしているとこか。
私ももう少し、現職の手が空いたら是非、このプログラムに参加したいと目論んでいます。

以下は切腹前の吉田大八の絶命辞です。
「衆口金を鑠(とろ)かす 豈(あに)信なるかな
郭は焦士となり 屋は灰となる
男子宜しく識るべし 義と不義とを
腰下の宝刀 冷を帯びて来る」


そして辞世
「我のみは涼しく聞くや蝉の声」

これを後の世に伝えられないのでは、天童人じゃないでしょ。
かく言う私は、天童を焼け野原にしてしまった荘内人なのですが・・・。
今は住まわせていただいているご恩返しと男が男に惚れた証として・・・。伝承しますよ!!





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