トミタケンセツのブログ

大工の家に生まれて

こんにちは。群馬県太田市でただひとり
あなたの予算であなたが望む以上のマイホームを建てることができる
家づくりメンター富田義明です。


僕は大工の家に生まれました。

祖父が創業し父が二代目を継いだ。

生まれた時から僕の家にはたくさんの大工さんがいました。

外には大工の作業場があり

大工さんのまねをして遊んでいた。

お茶休みは一人前に、大工さんたちに混ざって一緒にお菓子を食べたりした。

僕の周りにはいつも職人さん達がいて

木と大工道具が遊び道具だったんだ。

小学校高学年になると

夏休みは現場に行き、片付けをしたり手伝いをしてお小遣いをもらった。

父にはとても厳しかったと言う祖父が

僕にはとても優しかった。

いつも「あんちゃん」と僕の事を呼んで

ホンダのカブの後ろに乗せてくれた。

僕が大工を継いだ時

祖父は態度には表さなかったが

喜んでくれたに違いない。

祖父がまだ現役で大工をしている時に

僕はギリギリ間に合って一緒に大工仕事をする事ができた。

親子三代で建前(上棟)をすると

「親子三代で家を建ててもらえるなんて縁起が良いね」

そう言ってお施主様が皆さん喜んでくれた。

その祖父が数年後脳梗塞と心筋梗塞を交互に発症し

入院してから一度も家に帰る事は無く

この世を去った。

それと同時に祖父は大工を引退したんだ。

今でも、祖父が60年以上も前に建てた家の修理に僕が行く。

今では考えられないくらい手間のかかった家を作っていた。

その家のお施主様が僕に言う。

「清ちゃん大工は腕が良かったんだよ」

僕の住む地域の大工さんの多くを僕の祖父が育てた。

地域の大親方だったんだ。

そんな祖父を誰もが【清ちゃん大工】(せいちゃん)と呼んで慕っていた。

今僕は大工をやめて工務店の経営者になった。

でも大工だった時の気持ちも

子供の頃に大工さんと一緒に過ごした時の気持ちも

何もかもそのままだ。

大工と言う仕事に誇りを持っている。

祖父から受け継がれた大工魂を持ち続ける。

じいちゃんは今の僕の姿を見て喜んでくれているかな?


GP
懐かしい写真が出て来た

右祖父、中央父(若い)


最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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