インターネットやSNS(ソーシャルネットワークサービス)全盛の時代になったら、
文章を作る力量が、
すごく試されているような気がしているのは私だけでしょうか。
先日、3日間も缶詰めの状況に置かれて、
ひたすら文章を書いてそれを添削されて、
また書く・・・・。
といった勉強会(主催者は途中から道場と呼び換えてた)に参加したのです。
この時代、パソコンを開いてクリックをすれば、
素人さんが作った文章が、いろいろな形で目に飛び込んできます。
私も住宅を建てる、造り手のひとりとして、このブログやフェイスブックに文章を書いて、
皆様の目にふれる情報発信をさせていただいています。
少し前まで、こんなにも素人が書いた文章に接する機会なんて、
そーはなかったと思いませんか?。
そうなんです。
私達はいつの間にかどっぷりとネットワークの世界に入り込み、
勝手気ままに情報発信をさせて頂ける状況を、大いに利用しているのです。
ですから、文章力が おのずと試される・・・・。
と言う状況に追い込まれている訳なのです。
怖いですね。
先日、とあるネットワーク媒体に乗る文章を見ていたら、
深刻な問題提起がされていました。
書いている方はそれが正義と信じて載せたのだと思います。
その内容には特定の団体名を公表し、
書いた方の知り合いが不幸な状況に追い込まれたいきさつが、
事細かに書かれていました。
それを読んだ時、「こんな事を書かれたらその人物が特定されてしまう・・・・」。
と私は思ったのです。
こんな広く読まれる媒体に、まったくの第三者に、
想像できてしまうような文章で書かれたら、
別にそんな事を知る必要のない人にまで、状況が伝わってしまうのです。
多分この文章を読んだ、周りの、その状況を知らない人々も、
「あーあの人はそれであーなったのか」 と なってしまうのです。
この文章をもしも身内の方が見られたら
「余計な事しやがって」と思うと 思います。
気持ちを鎮めて神域へと向かう
恐ろしいことです。
これの始末が悪いのは、
書いている人物が〝自分は正義を行っている〟と
勝手に信じて文章を発信していることです。
この文章を周辺の人達が読むことによって、
不幸な状況に追い込まれた人が、さらに苦境にさらされてしまい、
その尊厳が冒されてしまうことなのです。
止め石 世に広める前にちょっと立ち止まる
文章を書くときは、熱くなっても構わないのです。
むしろ熱い文章こそ、読み手に想いが伝わるのかもしれません。
しかし、それを発信し、公表し人の目に触れる時は、
冷静でなければいけません。
よく、夜中に書いたラブレターを次の朝に読み返して、
あまりの陳腐さに便箋を丸めてしまったなんてこと、あなたにもありませんでしたか?
私も夜中に、詩でも書くか と書いた詩が、朝見てガッカリなんて経験をしています。
熱い文章は必ず、次の日に冷静な頭で読み返すべき、だと思います。
私の書く文章で、読む人がほんわり気持ちよくなれたら。
そんな気持ちで、パソコンと格闘している毎日です。
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クラフトホーム社長ブログ の紹介
設立当初より、介護が必要な方や高齢者の方のための新築やリノベーションを中心に行ってまいりました。 その過程で「より健康に暮らせる家づくりとは」を模索していく中、塗り壁や無垢の木など自然素材を使った家づくりを行っております。 このブログでは社長山崎の活動をご紹介します!