カブシキガイシャベリーホームのブログ

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靖國神社。

日本人であるなら 靖國神社には 
1度は、お詣りしなければならないと思うし
そうするべきだと思っている。

私の祖父 或いは大伯父また大叔父そして血族姻族も
先の大戦 或いは 日清日露戦争等で 此処に眠っている。

そして 多くの日本人だけで無く 
台灣 今の韓国北朝鮮また中国の人の関係者
また 目の青い肌が白く金髪のアングロサクソンも眠っているのです。

大東亜戦争が終わり50年60年70年を過ぎ
もう 実際に兵隊さんとして闘った世代は 極々僅かになり
戦中に 生まれた人も 後期高齢者となり

実際 昭和38年生まれの私が 当時の生活や 
当時の生き方考え方を知ってるワケでも
正確に 伝え聞いてるワケでも無いけど

今現在 多くの日本人が自虐的歴史観 自虐的国家観に 
引っ張られ 慣れ 浸かっていると
私は考えるのである。

勿論
戦争は しない方が良いし してはだめである。

が しかし

「守らなければ」ならないものもある。


100年前 
イギリスもフランスもオランダも
多くのヨーロッパはアジアを植民地にしていた。

なってないのは タイ王朝と日本だけで 
アジアは全てヨーロッパの国々に搾取されていたのだ。

当時の中国も ヨーロッパ列強に 部分部分を統治されていたのだ。

横道に逸れた………

私の親類縁者も 貴方の親類縁者も
此処 靖國に眠っている。

まだ 私が 小さい頃は
足が無かったり 腕が無い傷痍軍人さんが数人で 
お祭りや 夜店の時に 
アコーディオンを弾いたり

或いは 軍帽被ったり 軍服を着たりして 
募金を募ってるのを
今もぼんやり記憶している。

そして それを見ると死んだ婆サマも 本家の婆サマも 
いつも まあまあのお金を
大きな鍋に入れていた。

「戦争は いかん。でも あの時の日本は しかたなしに戦争した。」
「兵隊さんは 本当に凄いと思う。」
「兵隊さんのお陰なんよ。」

と教えてくれ ずっと言ってた。

そして

「インドもフィリピンも どこもかも日本が戦争して独立できたんよ。
日本は インドやインドネシアの人の為にも戦争したんよ。」と
よく話してくれた。
戦争を美化するつもりは無いし 讃礼するつもりもない



「靖國で会おう」「靖國で待っている」



友に 一緒の部隊の兵隊さんに
或いは 母に父に 弟に妹に 姉に 恋人に 婚約者に 
妻にそして子供に

そして そして
 知らない 見えない日本の未来の子供に 約束し 
死んでいったのだ。
何万何十万人の御霊が『日本の為』『多くの日本人の為』に 
約束をし散っていった。
お盆に 彼岸に 命日 法事に 多くの日本人は 墓に参り
或いは、墓参り出来ないまでも 心の中で 手を合わせたり

「そろそろ お彼岸やな」とか

「田舎の墓になかなか帰れないけど 心の中で 手だけでも合わせとこか」

なったりするのでなかろうか?

勿論 若い世代は なかなか そう思う事も機会も少ないかも解らないが
歳を重ねてくると
そうなっていくように思えてくる。



靖國。

もう一度 書くが 此処には 私の親類縁者 
貴方の親類縁者の多くの御霊が祀られている。
多くの多くの尊い命 多くの多くの犠牲の上に
今の私の命があり
多くの犠牲多くの尊い命の上に 今の平和と繁栄があるのである。

そして その御霊は 生きている時に
「靖國で会おう」
「靖國で待っている」と 友に家族に 
そして まだ見ぬ将来の日本人に約束して死んでいったのである。

であるならば
その2つだけでも 
当たり前だが 日本人であるなら
靖國神社に お詣りするのは 当たり前だと思う。

ましてや 外国人に とやかく言われる筋合いは無い。

文句言ってるのは 正式に3つの国だけであり
その3つの国は「アジアが……」「世界が……」て言うが 

その3つの国以外のアジアの国々 
また 世界の多くの国々は 何も言わないし
むしろ 多くの国家元首 また 軍人までもが 
参拝してくださっているのが 現実だ。

これに反対する政党は
私が思うのに 中韓の代弁者であって 
日本の政党では無いと思うのである。

もう少しで お彼岸である。
墓参りをする。
出来ない人も ちょいと考える。

そして 靖國についても 想いを 巡らせて欲しい。

長くなった………………………。

父がいて 母がいて 私がいる。
その父にも 母にも 父がいて 母がいる。
その父母にも 父がいて 母がいて
つまり 曾祖父曾祖母にも 父がいて 母がいる…………。
エンドレス…………

もう少しで お彼岸やね。

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