今日は、地下鉄サリン事件が発生した日です。
もう、今日で19年が経過しました。
本当に、この事件は、私にとって忘れられないのです。
なぜかと言うと、あのサリンが撒かれた地下鉄に、父が乗っていたから。
調度その時、私は、犬山のホテルに居ました。
チェックアウト間近のロビーで、とんでもないニュースが流れていました。
日比谷線、霞ヶ関の駅で何か事件が起きている!
時計を見て、霞ヶ関駅に到着する電車は、もしかしたら、父がいつも通勤で
使っている電車ではないか!と思ったのです。
というのは、私は神谷町駅まで、いつも、父と一緒に電車に乗ることが
多かったからです。(結婚前までの話ですが。)
実家に電話しても、詳細は分からないというし・・・。
思い余って、ご迷惑とは承知で、会社に電話をしてしまいました。
すると、父は会社に到着したところでした。
「大丈夫だった?!」と聞くと、
父は、一つ前の車両で人がパニックになり、何か様子がおかしいと思い
駅について電車のドアが開くや否や、階段を駆け上がったそうです。
聞いたところによると、「階段を一段抜かしで駆け上がった。」と。
何があったか、見にでもいっていたら大変なことになっている
状況だったことでしょう。
父は、高校~大学とテニスの選手で、80になろうと言う今も、
大喜びでゴルフに出かけてしまうような元気なおじいちゃんです。
健脚ぶりが、救いになったのかもしれません。
「パパは、大丈夫だから・・・。」というひと声に泣いてしまいそうでした。
先程、テレビで、霞ヶ関駅で、乗客の救援にあたり、尊い犠牲と
なられてしまった高橋助役さんの奥様のニュースを見ていました
本当に、高橋助役のように、わが身を顧みない勇気ある行動で
命が救われた方がいらっしゃる。そのことを忘れてはなりませんね。
その後、1年数か月が過ぎ、父は、初めてで唯一の孫を抱く
ことができました。もしもあの事件で、父も巻き込まれていたら・・・
Jr.君は、じーじに抱っこして貰えなかったと思うと、
あの犯罪を憎み、なおかつ、命への感謝の想いを強くします。
今日で19年。
本当にそんな年月が過ぎ去ったのかと、時の過ぎる早さを思います。
心の中で、しっかりと亡くなられた方々を追悼したいと思います。
二度と、こんな事件を起こしてはいけないという思いと共に。
日新火災・朝日火災代理店「おうちの保険com」